2001年度 などちゃんのアイドルトーク 01

 

9月号 「生きる力

二学期が始まりました。保育園においても、通常保育に戻り、いつもの活気が、校・園に戻ってきました。一夏を過ごした子どもたちの成長ぶりはいかがでしょうか。
この夏は、いつになく話題の多い季節となりました。今回は、そのいくつかを取り上げたいと思います。

  • 生きている不思議
  • 死んでいく不思議
  • 花も風も街も
  • みんなおなじ

これは、映画『千と千尋の神隠し』のテーマ曲の一節です。この映画は、現代社会を縮図にした「湯屋」を舞台に、十歳の少女の眠っていた「生きる力」が、しだいに呼び醒まされてゆく様子を描いたものです。主人公の千尋は、働くことと様々な人々との出会い、そして、他人のために何かをすることで、生きていることを実感し、たくましく変わっていきます。同時に、「カオナシ」(仮面の男)の魂を解放に導く様子が描かれています。この「カオナシ」の存在は、同じ色に染まろうとし、自分らしさを発揮出来ない現代人を表現しているのかもしれません。この映画は、多くのことを教えてくれました。

今夏、池田小学校の事件に始まり、明石市の橋の上で起きた事故、そして、尼崎の児童虐待、栃木の誘拐等、子どもの「命」を奪い脅かす事件が相次ぎました。なんともやりきれない思いがします。本紙7月号に、「『学校神話』が崩れたということは、地域社会が危ないということだ」と述べました。この指摘が、現実のものとなるとはと思いました。

尼崎の事件の詳細が伝えられる中で、二つのことを考えさせられました。

一つは、虐待が繰り返されているにも関わらず、近所の誰もが相談にのっていない(のれない)ことです。もし、地域にコミュニケーションがあればと悔やまれます。二つめは、両親の生い立ち、とりわけ「学力」(「生きる力」と言ってもいいかもしれません)です。彼の両親は、定職に就くこともなく暮らし、ドアに張られた伝言の文字を読む限り、学力も厳しかったのではと思います。両親が通った学校でも、様々な取り組みが行われてきたと思いますが、両親の低学力が、この事件の遠因だとすれば、教育現場に身を置く一人として責任を感じます。

今年も、8月15日が訪れました。首相の靖国神社参拝が、大きな問題になっています。戦後、56年も経過しながら、なお総括ができない私たち大人の責任は重大です。個人にとって国とは何か、個人と国との関係性を明らかにしない限り、総括はできないかもしれません。

これから21世紀を担う子どもたちは、国という枠を越え地球市民としての感覚を持つことが求められます。近隣諸国はもちろんのこと、様々な国・地域の人々との出会いと交流が行われます。なお、20世紀の宿題が完成しない私たちを、「生きる力に覚醒した」子どもたちは、乗り越えていくかもしれません。

『生きる力に覚醒(エンパワメント)する』ことは、人権教育の目標です。