2003年度 アイドルトーク 02

 

12月号 「よそいき

みなさんは、「よそいき(余所行き)」の服をいくつか持っているでしょうか。 わたしの子どものころのよそいき~といってもただの緑色のセーターと、ねずみ色の半ズボンですが~はきちんとタンスに仕舞われていていました。出かける前に母親が出してくれる時には、虫除けのショウノウのにおいがして、わたしはあまりすきではありませんでした。一方、普段の服装はといえば洗濯こそしてあったものの、膝やおしり等の部分には破れを綴ったあとや、「つぎあて」がありました。

さて、最近のデフレ不況の中、いろんなものの値段が下がりました。衣料品も数年前にくらべて価格が大きく下がったもののひとつではないでしょうか。スーツが1万円で売り出されました。そして今や5千円スーツまで出現しています。子ども服や普段の服装なら、数百円でかなりのものが揃う店もあちこちにできています。こんな状況の中、「よそいき」という考え自体が少なくなっているように思います。 「よそいき」は出かけるときのマナーのひとつでもあったと思います。また、今ほど物が豊かでなかったころの、ものを大切にするためのひとつの知恵だと思います。安く手に入るようになった今、いつも新しいものが着られるので、「よそいき」としてとっておかなくてもよくなりました。その結果、綴ったりつぎあてをしたりして、大事に長く着る発想も少なくなったように思います。「よそいき」という習慣や言葉がなくなっても、手間をかけて物を大切に使う気持ちは引き継いでいきたいものだと思います。

ところで先日、熊本県のあるホテルが元ハンセン病患者の宿泊を拒否したということで、大きなニュースになりました。報道によると、このホテルの責任者は「病気が伝染しないことが、必ずしも世間すべてで認識されているとは限らない」として、宿泊を認めなかったようです。これまでの当事者のねばり強い運動により政府がハンセン病患者への隔離政策の誤りを明らかにしたことや、「人権教育のための国連10年」行動計画の重要課題に示されたことからも、ハンセン病に関する問題は近年日本の大きな人権問題として認識されつつありますが、ホテル側はそうした考えはまだまだ「建前」であり、「本音」のところでは「社会には差別はまだある」と考えたのでしょう。そして、なによりもこの責任者の心の中に差別意識があったことは間違いないと思います。

しかしこの数日後、ホテル側は一転して謝罪しました。確信犯的ともいえるホテル側を変えていったのは、1日に数百回にも及んだ一般市民からの抗議の電話だったといわれます。そして知事や厚生労働大臣、法務省までが動く様子が伝わったからです。まさに、多くのひとの行動が「建前」を 「本音」に、社会の基準に変えた瞬間でした。

さて、「よそいき」という言葉は「よそいきの顔」や「よそいきの言葉」といった使い方もされ、「改まった」とか「建前的な」とかいう意味もあります。人権文化の創造は、「人権を大事にしよう」という言葉をよそいきで使うのではなく、行動をともなった「本音」に一人一人が変えていく営みだと思います。