2004年度 アイドルトーク 02

 

7月号 「いらっしゃいませ

知らない喫茶店などにぶらりと入った時、「常連さん」がおられて気まずい思いをしたことはありませんか。店の人が注文を聞き、頼んだものを持ってきた後、カウンターに座っている「常連さん」と親しそうに話しているのを見ながら、居心地の悪さと、少しのうらやましさを感じたことはないでしょうか。

30年ほど前、アメリカ生まれのハンバーガーショップが東京銀座にオープンしました。漫画「ポパイ」でしか見たことのなかったハンバーガーが日本に持ち込まれ、今では当たり前の食べ物として定着しています。さて、このハンバーガーショップの成功は、新たな食文化を定着させただけではなく、調理や接客等のマニュアル化を徹底させ、どこでもだれでも同じ雰囲気で同じ味を楽しめることを実現しました。「いらっしゃいませ、どうぞ」の言葉と、とびきりの笑顔で始まる接客は、先に話した「常連さん」のいる店の気まずさを払拭しました。年齢、性別などには関係なく、どの人にも平等な待遇がどの店舗にも保障されています。こうした方法が多くの外食産業やコンビニエンスストアにも取り入れられることとなりました。

でもこのごろ、これでいいのかなと思う時があります。いつもだれにも同じ態度で接してもらえるということは、何度行っても関係が深まらないということです。頻繁に利用する店でも常に初めてのお客さんとして扱われることに、「常連さん」のいる店で感じた疎外感とは少し違った違和感と寂しい感じをもってしまいます。

また、「いらっしゃいませ」のあとの言葉も気になります。「お持ち帰りですか、お召し上がりですか」ということや、あるいは「何名さまですか」ということが店員さんの一番の関心事のようです。客が何を食べたいのか、急いでいるかどうかというようなことよりも、トレーにするか袋を準備するか、どの席に案内するかというような店側の都合が優先されているように思えてなりません。

今、一般的な社会生活の中ではどの人も平等に扱われます。でも、「あなただから」「○○ちゃんだから」と認められることが少なくなっているように思います。ある重大な事件を起こした少年は、自分を「透明な存在」と表現しました。インターネットの掲示板やチャットに没頭する子どもたちも、相手が自分の言葉に素早く反応してくれ、自分として認めてもらえる実感を求めているのかもしれません。

学校・園・所では子どもたちを集団としてとらえるだけではなく、ちがった名前と個性をもった一人一人として認めていける場面を増やしていきたいと思います。