2011年度 あいどるとおく

 

10月号 「鬼に金棒( かなぼう)

(強い鬼にさらに武器を持たせる意から)ただでさえ強いものに、一層の強さが加わること。
《大辞泉》「『鬼に金棒』という言葉があるやろ。
教員は鬼にならんとあかん。
鬼になるというのは、『子どもをこんな人に育てたい』という強い気持ちを持つことや。
でも、気持ちだけではあかんで。
金棒を持たんと。
金棒は教員としての力量を高めることや。
よい授業やよい学級をつくろうと思たらいろんなことを勉強して力をつけんとあかんで」
ある人が教員になったばかりの頃、先輩から教えられた言葉だそうです。
最近これを聞き、今の自分をふりかえって「自分は鬼になれているだろうか」「金棒を持てているだろうか」と身の引き締まる思いをしました。

さて、鬼と聞くと、怖いイメージが先行しますが、その言葉は「おぬ(隠)」が転じたもので、元来は姿の見えないもの、この世ならざるものを意味したそうです。
そうしたものに対する畏敬の念が、いつの間に恐怖心へと変わったのでしょうか。

そんな鬼を題材にした教材「島ひきおに」が『なかま』に掲載されています。
人間となかまになりたいという願いをもつ鬼と、鬼ということでその本質を見ることなく、近づこうとしない人間。
そんな中で人間は対立を起こし、多数者に追随し少数者を排除します。
この教材は、「人間にはこういうところがあるのだ」ということに気づき、こうした人間性から生じる問題を解決する態度を養うことをねらいとしています。

これまで「島ひきおに」はもとより、いろいろな『なかま』教材を使った実践が展開され、同和教育・人権教育において多くの成果を残してきました。
その『なかま』は、一部を除き、残念ながら本年度をもって配布が終了となりました。

とは言え、来年度以降も『なかま』はあります。
『なかま』を子どもたちと読みながら、人間を大切にできる人を育てたいと強く思います。

おや、そんなことを言ってると、気のせいか今鬼が笑ったような・・・