2012年度 あいどるとおく

 

11月号 「『なかま』とともに

「師走」と呼ばれるこの季節、帰宅すると郵便物の中に喪中はがきが混ざっています。

喪中はがきは、大切な人を失った悲しみの中、とても新年を「めでたい」と祝う気にはなれず、挨拶を差し控える失礼をわびるというのがその趣旨だと思っていました。
でも、実は全く違った考えに由来していることを先日知りました。

「喪中」とは、「死者を偲ぶ期間」をさしますが、これとよく似た言葉に「忌中」があります。
こちらは、神道の「穢れ(ケガレ)である『死』を忌む期間」という考えによるものです。
古来より「忌中時は出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、神社に参拝しない」とされていました。
なぜ「出仕を控え」るのかというと、「死者を出した家は穢れているので、他の家に災いをもたらさないように、その期間は家を出てはいけない」からだそうです。
要するに、「ケガレがうつる」ことのないように他人との接触を断たねばならないというのです。
直接会えないので、手紙で断りを入れたのが喪中はがきなのです。
があります。
こちらは、神道の「穢れ(ケガレ)である『死』を忌む期間」という考えによるものです。
古来より「忌中時は出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、神社に参拝しない」とされていました。
なぜ「出仕を控え」るのかというと、「死者を出した家は穢れているので、他の家に災いをもたらさないように、その期間は家を出てはいけない」からだそうです。
要するに、「ケガレがうつる」ことのないように他人との接触を断たねばならないというのです。
直接会えないので、手紙で断りを入れたのが喪中はがきなのです。

現代社会において「ケガレがうつる」なんてことはほとんどの人が信じないでしょう。
にもかかわらず、喪中はがきは慣習として今も私たちの暮らしの中にあります。

なんだかよくわからないけれど「みんなが」「昔から」しているから自分もやっている。
そうしたことは他にもたくさんあります。
でも、それがいろんな人権侵害を支えることにつながってはいないか。
そんな批判的思考を養うための教材として、『あの子』(ひぐちともこ作/エルくらぶ)という絵本があります。
誰かが言った「あの子といっしょにおらんほうがええで」という言葉がその出所もわからないままに広まっていく・・・というお話です。
こうした教材を使い、うわさや慣習に縛られることなく、真実を見極めて行動する生き方を幼い頃から身につけることが、部落問題の解消にもつながると思います。

このお話も収められた人権教育学習資料集『なかまとともに・小学校1』(奈良県教育委員会発行)が各小学校に届けられました。
この資料集の作成においては、奈人教の研究・推進委員をはじめ、多くの会員の方々にもご協力をいただきました。
奈良県人権教育研究会編『なかま』とともに、私たちの人権教育学習資料集としてご活用いただければ幸いです。