2017年度 あいどるとおく

 

6月号 「豊かなコミュニケーションのために

 

 ある日の夕方、家のドアホンが鳴りました。モニター越しに会話をしようとしましたが、「声」が返ってきません。訪問者が手招きをするような仕草をしたので、玄関に出ることにしました。そこで、初めて訪問者がろうの方だと気づきました。その方は、家族の知人でした。
 何かを伝えようとされましたが、私が相手の意思を理解できなかったので、「会話」ができず帰られました。私は、訪問者を見送りながら、手話でコミュニケーションができない自分に歯がゆく情けない思いをしました。
 それからしばらくして、総合的な学習の時間に、ろうの方をゲストティーチャーに学習する機会がありました。その学習後、子どもたちの学習記録には、「かつて、ろう学校で手話が禁止されていた話をきいておどろいた」という感想と、「なぜ手話が禁止されていたのだろう」という疑問が書かれていました。
 今年4月1日に、全国の府県では13例目となる「奈良県手話言語条例」が施行されました。その条例には「明治13(1880)年にイタリアのミラノで開催された国際会議において、ろう教育では読唇と発声訓練を中心とする口話法を教えることが決議された。それを受けて、わが国でも、ろう教育では口話法が用いられるようになり、昭和8(1933)年にはろう学校での手話の使用が事実上禁止されるに至った。これにより、ろう者は口話法を押し付けられることになり、ろう者の尊厳は著しく傷付けられてしまった」と記されています。ろう学校で手話が使われなかったのは、「障害者」が「健常者」に近づくことを強いていた社会の反映であったと思います。
 子どもたちの学習記録は続きます。最後に「耳の聞こえない人と出会ったら、今日覚えたグーチョキパーの手話を使って、気軽に話をしたいです」と書かれていました。先の条例の附則は、「手話は、人と人が意思疎通を行い、互いを理解する主要な手段である言語との認識に立ち、県民の手話への理解を深めるとともに、手話の普及等により、ろう者の人権が尊重され、ろう者とろう者以外の者が互いを理解し、尊重し合うことができる社会を築くため」と結んでいます。また新学習指導要領の前文にも、「自分のよさや可能性を認識するとともに,あらゆる他者を価値のある存在として尊重し,多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え,豊かな人生を切り拓き,持続可能な社会の創り手となること」が明記されています。子どもたちのこの学びは、指導要領が求める資質・能力を身につけることにつながるとともに、「奈良県手話言語条例」の趣旨を具体化するものであったと思います。
 条例の施行から今後一層「手話言語」の普及が求められます。「会話」ができないことを後悔しないためにも。