2021年度 あいどるとおく

 

1月号 「であい」と「気づき

 県内における保育・教育現場で、「性別」で分けない名簿の活用や多目的トイレの設置、制服選択制が広がりつつあります。これを機に、設備や規則を変えるだけにとどまらず、多様性の学習が必要だと考えていた先日、次のような出来事がありました。
 私は結婚式会場で4歳になる我が子の手を引いて、トイレに向かっていました。「性別」が異なる私と子どもは多目的トイレを探していましたが、見つけることができなかったため、スタッフに尋ねることにしました。私の「多目的トイレはありますか」という問いかけに対し、スタッフは言葉を詰まらせ、私たちを見つめながら「目的は・・・?」と返しました。その言葉に、どんな思いが込められていたのでしょうか。多くの人は誰かに何かを伝えることなく、トイレを使用しています。しかし、「特別」な認識をもたれた場合、使用する度に理由を説明しないといけないのかと疑問を抱きました。そのときは「二人の性自認が違うので、一緒に入るために」と伝え、その後も憤りを感じたままでしたが、その会場に多目的トイレはなかったため、「男性」トイレを使用することにしました。中には、私たち二人の他に誰もいなかったので、さっと済ませ出ようとすると、ドアの前(外側)に先ほどのスタッフが立っていました。そこは人の出入りが少ない、小さなトイレだったこともあり、そのスタッフが他の人の出入りを一時的に止めてくれていたのだと、私はすぐに気がつきました。スタッフの「気づき」に、この「男性」トイレは一時的に家族トイレに変わりました。
 あらゆる「であい」から人権感覚は磨かれるものだと思います。であわなければ(気がつかなければ)、知らず知らずのうちに差別の加担者になってしまうことがあると、よく取り上げてきました。「性別は男か女のどちらかだけである」といったようなこれまでの認識から脱却し、多様性に気がつき、どんなニーズや価値観があるのか、アンテナを張り巡らすことは大切です。また、多様性が認められないときには、その一人ひとりがもっているアンテナに引っかかり、誰もが下を向かないでいられるようにする工夫が求められます。さらに、保育・教育現場で人権感覚を磨いていくためには、一つの出来事について、じっくり子どもと語り合う時間が必要ではないでしょうか。