2022年度 あいどるとおく

 

6月号 「カミングアウトとアウティング

 ICTの進化は、私たちの暮らしを大きく変えました。いつでもどこでも欲しい情報を得ることができる一方、情報の発信も容易にできるようになりました。SNS等によって、無数の情報が地球上を覆っています。その中に、人権侵害となる情報も拡散されています。かつて部落問題学習に取り組む際、地域名を明らかにするかどうかで、長時間にわたって話し合ってきました。ところが最近では、子どもたち一人一人が端末機器を持ち、簡単に知ることができます。少し前のことですが、小学校の中学年の児童が、母親に「お母さん、ぼくは発達障害なの」と聞きました。お母さんは激しく動揺して、何も答えられなかったといいます。実は、その児童がインターネットで自分の特性を知ったということでした。
 こうしてみると、他者から出自や特性・個性を明かされたり、容易に拡散されたりしていることに気づかされます。そして、それらの情報は人をカテゴリー化した上に、往々にして負の価値が付随しています。SNS等だけでなく、私たち教職員の会話の中にもないのか、問われます。アウティングの差別性と怖さを認識したいと思います。
 次に、カミングアウトをした時の私の体験を記します。結婚する前、ある研修会で、結婚差別についての映画を観ました。私は心が苦しくなりました。自分が部落出身の人間だと相手が分かったときに、どのような反応をするだろうか不安に思いました。研修後、居ても立ってもいられず、相手に自分のことを打ち明けました。すると、相手も自分の生い立ちや部落との出会い、そして最後に「私は、そんなこと絶対に気にしない。」と力強く言われたことを今も胸に響いています。カミングアウトをした時の唇の乾きと、胸のどきどきは忘れられません。
 カミングアウトは、自分を取り戻すことでもあります。「我々がエタである事を誇り得るときが來たのだ」と謳った水平社宣言は、被差別部落の人々だけでなく、全ての人々の自分を取り戻す勇気を与えます。カミングアウトとアウティングは、人権教育の課題です。