7月22日・23日の二日間にわたって、県広域地場産業振興センター、かしはら万葉ホールにおいて夏期研修会を開催しました。。四講座に県内各地から約1000人の会員が参加し、研修を深めることができました。
特別支援教育がスタートして、子どもたち一人一人に対してより細かく丁寧に関わろうとするようになってきました。一方、私たち教師が支援計画など書類作成に追われて時間的に制約されることもでてきました。また、ケアが必要な子どもたちに専門的なカタカナの「障害」名をつけることが多くなりました。そして、障害名というフィルターを通して子どもを見てしまう危険性も増えましたが、まずその子自身のありようをていねいに見ることが大事だという提起をいただきました。
ダウン症の息子さんのことも交えながら、今の社会の中で「障害」があることが個性として認められにくい現実を語られました。「『障害』がある人が生きにくい社会は誰にとっても生きにくい社会です。人は『障害』のあるなしに関わらず自立しないといけないという錯覚にとらわれています。しかし、人はいろいろな人とのつながりの中、関係の中で生きているので、自己完結はしない…。」という言葉が印象に残りました。
これまで「進路保障は同和教育の総和」と言われてきました。子どもたちの進路に向き合う時、教師は否応なくこれまでの取組の課題をつきつけられます。地域の母親が離婚して仕事を辞めて実家に戻るケースが増えてきましたが、私たちの進路保障の取組は、その子どもが親になった時までを見極めたものかが問われています。
地域の中で顕著に見えている課題は、確実に次世代へと持ちこされ、大きな影響を及ぼしています。被差別の立場におかれている子どもたちが卒業後、ニートやフリーターにならざるを得ない現実をしっかり見ていく必要があります。過去の同和教育の実践から受け継いだキャリア教育の創造を具体的に示唆いただくことができました。
辻本さんの講演では、ムラの財産であった木偶が、地区改良事業が進められる中で、ムラ出身であることを隠すために、捨てられたり、隠されたりしたことや、それを人形芝居の原点である木偶廻しを継承するために、聞き取りや資料集めをしたことなどを話されました。また、辻本さん自身の差別との出会いや、その実態、差別と前向きに取り組む自分の生きざまや部落問題に対する問題提起を軽妙な語り口で話していただいきました。
また、その後、木偶廻しのようすや山間に住む人々が正月に木偶が来ることを楽しみにしている様子をビデオで紹介されました。
そして、中内さん・南さんの三番叟(さんばそう)の実演となりました。会場の参加者の視線が釘付けになりました。南さんの心地よいリズムで打ち出される太鼓のシンプルなリズムと中内さんの張りのあるうたいの声、そして命を持ったかのように動く木偶に参加者の心が癒されていきました。そんな豊かな時間が会場に広がり、大きな拍手で参加者も福を授かった喜びをあらわすことができました。
まず、島本さんは、90年代のアメリカの流れをちょうど10年おくれで日本が後追いし、新自由主義の考えで経済や国の仕組みを変化させていったのではないだろうかと述べられました。
格差社会が広がる原因が、「規制緩和・なんでも民営化・富裕層への減税」にあり、最近になって「派遣切り」や「雇い止め」が、話題になっていますが、これからは、企業が堂々と「正社員を切る」ことになるだろうと話されました。その中で、『「人を人として扱う」のではなく「人間を使い捨て」するシステムができてしまった』という言葉が印象に残りました。
後半では、日本がやがて、戦争に関わる国・加担する国・そしてする国になっていくのではという警告をされました。戦前の状況と今が似ていること、日本が終戦前に原子爆弾を造ろうとしていた事実、日本の小型ビデオカメラがアメリカの爆弾の目になっていることなどを話されました。
最後に、教育に携わるわれわれに、人の痛み・苦しみ・悲しみが実感できる想像力豊かな子どもたちを育ててほしいというメッセージをいただきました。