今年は2000年、ミレニアムの年です。今年1月1日、コンピューターの2000年問題で大きな話題となりました。2000年、言うまでもなく「西暦」です。街のところどころに、ミレニアムの文字が躍っています。しかし、世界には独自の年の呼び方があります。日本では元号の「平成」が使用されています。元号で今年は「平成12年」となります。「12」という数字は、私たちの感覚でいうと節目も何でもないということになります。こうして考えると、私たちの考え方は柔軟というか、あいまいというか。こうした考え方に不思議さと、ある種の安堵感を感じます。
ところで、故松浦勇太郎先生は、生前「21世紀に部落差別を持ち越さない」と、全国に発信されましたが、その21世紀が来年いよいよやって来ます。
こうした折、最近、17才の少年が引き起こす事件に社会は揺れています。また、政治の指導者の発言をめぐって、社会問題化しています。
17才といえば、神戸の連続児童殺傷事件を起こした少年も、今年17才になるそうです。少年犯罪が多発しているように感じているが、戦後の統計では、減少傾向にあるそうです。戦後の少年犯罪の多くは、貧困・差別が要因として多かったそうです。しかし、今日の少年犯罪の特徴は、「心の問題」が取りざたされています。
顕在化している様々な問題の根底にあるのは、私たちの「人権感覚」「人権意識」ではないでしょうか。先日、ノルウェーの国会議長さんが来日され、テレビのインタビューに次のように話されていました。「ジェンダーフリーの世の中は、すぐにそうした社会はできないが、常にそのことを意識することが大切だ」と。そうだそうだとうなずいてしまいました。
人権教育としての同和教育を更に発展させるためには、「意識(態度)とスキル(技術)」を身につけることが、求められています。17才の少年たちも政治の指導者たちも、常に相手の思いを受けとめる感性と、相手の立場を想像する力、そして、常に「人権」を意識することが身についていればと思います。
戦後、同和教育は50年を超える歩みを刻んできました。いよいよ正念場を迎えます。