「10年で差別をなくす法律ができたんや。差別なくすためにがんばらんなんな」
当時中学1年生であった私は、この先生の言葉を、何のことかわからず、ただキョトンと聞いていました。その時先生が話された法律が、「同和対策事業特別措置法」であったことに気づくのにしばらくかかりました。そして、33年の年月が経過しました。この間、私はいたずらに馬齢を重ねてきたように思います。中学校の先生の言葉を今一度かみしめたいと思います。
さて、同和問題の解決を図るための特別措置法が、この3月に失効します。部落問題の解決のためにどれだけの成果があったのか、正しく評価されるには、もう少し時間が必要だと思います。ただ、今日の時点で言えるのは、部落問題解決のための基盤が整備されてきたということだと思います。
今年3月3日、全国水平社が結成されて80周年を迎えました。水平社宣言に初めて出合ったとき、私は体が異常に熱く感じ、心が震えたことを覚えています。
水平社宣言は、命の尊厳を説いていると思います。水平社宣言を起草した西光万吉は、一時期、差別から必死に逃げることを考えます。しかし、差別から逃げるのではなく、反転して闘うことを、魂を込めた決意を水平社宣言として顕します。万吉は、いかなる息づかいをしてきたのか、これまで語られてこなかった、万吉の人となりを知りたいと思います。
ところで、近年再評価されてきた金子みすゞは、万吉が水平社宣言を考えていたその時、数々の童謡詩を書いていました。みすゞは、命を深くとらえ、矢崎節夫さんが言うところの「祈りの詩」を書き続けました。しかし、みすゞは、26歳の時、あれほど命を深くとらえてきたにもかかわらず、自ら命を絶ちます。当時、女性には親権がありませんでした。みすゞは、一人娘が父親のもとで育てられることを命をかけて拒否したのです。
西光万吉と金子みすゞ、同じ時代に生きた二人は、お互いの存在を知っていたとは思えません。しかし、この二人は、体の中を流れる命に対する捉え、思想、人間観等、重なりが多くあったように思います。とりわけ、人間は白、黒はっきり分かれるものではなく、どちらかと言えば灰色であり、不完全な生きものであるという人間観をもっていたように思います。
歩んだ道は大きく違ったけれども、共通した人間観をもとに、より豊かな人間性の覚醒を、万吉は水平社宣言に、みすゞは「祈りの詩」に託したのではないでしょうか。この二人の人間観に学びたいと思います。