人権エッセイ集

2001年度 などちゃんのアイドルトーク 01

4月号「先生と伝統」

21世紀初めての始業式、入学式が次々と開かれています。「初めて」というわりには、明治に近代学校が開設されて以来の様式で執り行われているのが一般的です。「伝統」を大切にするためなのでしょうか。

21世紀を迎えて、いよいよ日本の社会システムが、待ったなしで再構築されようとしています。教育の世界も同様で、「ゆとり」と「生きる力」をキーワードにした新学習指導要領の本実施を一年後に控えています。

ところが、文部科学省は、新学習指導要領では「学力低下」が懸念されるということで、「できる子向け」の学習法の検討を始めたということです。多様化と言えば聞こえはいいですが、「結局、学校は子どもを選別するところなのか」と考えてしまいます。

このような状況の中で、学校・園・所には、新入生と新赴任の教職員のみなさんの、戸惑いながらも早く慣れようとしている姿があります。とりわけ、新任の教職員は、赴任早々に「先生」と呼ばれる立場となります。

早速、家庭や地域の様子を知るために、家庭訪問が始まります。家庭訪問と言えば、忘れられない場面があります。

家庭訪問が始まって、数件めの家庭を訪れたとき、テーブルの上には、茶菓子の用意がされていました。学校からは、茶菓子の用意を固く断るお知らせをしているにもかかわらずのできごとでした。

この茶菓子を用意された意味は、二か月後になってわかりました。それは、学校では知り得ない子どもや保護者のくらしと、教育に対する願いがあったことを識るということに他なりませんでした。「先生」と呼ばばれるには恥ずかしい21年前の家庭訪問でした。

同和教育は、「一人も網のめからこぼさない教育」として、五十年間取り組まれてきました。教育の方針がどう変わろうと、子どもの姿に学ぶことは、これからの五十年間も変わることのない「伝統」にしなければなりません。

家庭訪問は、その第一歩ではないでしょうか。そして、家庭訪問を終えて深々と頭を下げる保護者の願いを背に感じることができたときが、「先生」と呼ばれる人生のはじまりではないかと思います。

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