「同和教育の魅力は何」と聞かれたとき、どんな答えが用意できますか。「あなたにとって同和教育って何ですか」と問われたとき、どう答えますか。
私にとって同和教育は、「教職という仕事を豊かにしてくれた教育です。そればかりか、少し大げさですが、自分の生き方を考えさせてくれる教育です」と答えたいと思います。
教職に就いて間もないころ、教頭先生から、「しっかり家庭訪問しなはれや」「子どもは、学校にいるときだけの姿を見ていたら、えらいめにあいまっせ」と教えていただきました。そして、「奈同教の出張行きなはれ」とも言われた覚えがあります。
同和教育の「ど」の字も分からなかった私は、とりあえず教頭先生の話されたことが大切だと思って、家庭訪問をかかさず行うことと奈同教の研修会に参加することにしました。
家庭訪問をしているうちに、学校では見せない子どもの姿と出合うことになりました。そして、保護者との人間関係をつくることも、なんとかできるようになりました。
奈同教の研修会に参加して良かったのは、優れた実践に出合ったこと以上に、いろんな先生方と出合った、知り合えたことだと思います。実践報告で学んだことも多くありますが、研修会の帰りにその知り合いになった先輩教員から、教育についての話を聞けたことが、今も私の財産になっています。
私が同和教育に取り組み始めた頃、奈良県の同和教育は混迷期だったと思います。思想的な対立期とも言えるかもしれません。しかし、この混迷期を乗り越えられたのは、事実と実践という言葉に集約される同和教育のあり方をつくり出してきたからだと思います。そして、その事実と実践の検証軸は、「水平社宣言」であることは言うまでもありません。
「水平社宣言」は、私にとっても大きな影響を与えてくれました。学生時代に初めて「水平社宣言」を読んだとき、今までにない胸の高鳴りと共に、社会に対する見方が変わったように思います。
同和教育の魅力は、実は「水平社宣言」にその源があるのだと思います。
「奈同教」「同和教育」という文言が、「人権教育研究会」「人権教育」というように変わっても、「水平社宣言」の精神が脈々と流れ、五十年の「奈同教」「同和教育」の伝統が守られていることが大切だと思います。
今から五十年後、「人権教育の魅力は何」と聞かれたとき、何と答えることができるでしょうか。