9月に入り「米同時多発テロ」というとんでもないことが起こりました。なんともやるせない思いがします。「テロ」への憤りを感じるとともに、犠牲者の方々に謹んで哀悼の意を表します。
この「テロ」に対して、アメリカは報復措置にでると報道されています。そして、日本も同盟国の一員として、また日本の問題でもあるとして、「後方支援」を行う方向で論議が進められています。これらの動向は、「やられたら、やりかえす」という姿勢にほかなりません。
アメリカがこの「テロ」に対して報復措置に出る理由は様々に考えられますが、とりわけ自由と民主主義が脅かされたことへの報復だと言われています。
ところで、日本社会は、「個人」を「いえ」「むら」という属性の中の一員とし、その存在を認めることなく発展してきました。そして、近代化の中で、「個人」やその集合体である「社会」という概念が、実態をともなわずに知識だけが入ってきたと言われます。
一方、市民革命の経験がある欧米は、まず「個人」がありきで、国は「個人」間の調整役という考え方のようです。「個人」間や集団の間で起こった問題や調整が必要な課題は、往々にして報復合戦という「悪循環」に陥ることもあります。そこで、司法制度が生み出され、民主主義に基づく政治が構築されてきました。
今回の「テロ」は、いかなる理由があっても許されることではありません。しかし、そこには必ず因果関係があるはずです。だからこそ、その解決法は報復という「悪循環」を招くものではなく、国連の第三者機関による平和的な方法が望まれます。それが、人類の長い歴史の中で、多くの犠牲の上にたって構築されてきた叡知ではないでしょうか。
先日、「児童虐待」をテーマにしたテレビ番組で登場した20代前半の母親が、「『しつけ』のために暴力をふるう」と発言していました。そして、「自分もそのように育てられてきた」と話していました。自分もそうだったから子どもも同じように育てるというのは、子育てにありがちなことです。 それが、良い方に循環している場合は問題になりませんが、先の母親のように「悪循環」を起こす場合があります。「しつけ」は、子どもを調教することではありません。生きていく「知恵」を伝えることです。「知恵」を伝えるのに暴力は必要ありません。「悪循環」に悩む保護者にこのことを伝えて、新たな地平へ向かうよう、ともに歩みたいと思います。
「悪循環」と言えば、次の一文があります。 このような心理的差別と実態的差別とは相互に因果関係を保ち相互に作用しあっている。すなわち、心理的差別が原因となって実態的差別をつくり、反面では実態的差別が原因となって心理的差別を助長するという具合である。そして、この相関関係が差別を再生産する悪循環をくりかえすわけである(同和対策審議会『答申』) この「悪循環」を断ちきるために、50年に及ぶ同和教育や30年を越える同和対策事業が展開されてきました。これらの取り組みによって、実態的差別は解消の方向に進んでいると言えます。しかし、心理的差別は、なお課題となっています。
今後は、同じ地平で「悪循環」を断ちきる取り組みから、新しい地平へ人々のものの見方・考え方を向上(変化)させる取り組みへと変えていくことが求められます。
同和教育の成果を踏まえて人権教育として再構築していくことは、そうした展望を切り拓くものであると思います。