人権エッセイ集

2001年度 などちゃんのアイドルトーク 01

11月号「期待」

日本の昔話に『桃太郎』があります。ご存じのとおり、桃から生まれた桃太郎が、おじいさんとおばあさんからもらった「きび団子」を持って、鬼退治に行く話です。途中、猿、犬、キジと出会い、きび団子をあげて「味方」につけます。そして、鬼が酒によっている間に襲いかかって退治します。最後は、鬼にとられた村の財産を奪い返して凱旋するのです。

この昔話は、戦前、日本が大陸に侵略をする行為を子どもたちに合理化して話すために作られたという説があります。今、読み返してみて、日本は、戦前の桃太郎から、現在は犬や猿・キジになったのかと思うのは、私だけでしょうか。もちろん、今また桃太郎になる必要がないことは言うまでもありませんが。

九月の米同時多発テロ以来、わずか二か月足らずのうちに、日本の立場は一変したように思います。日本は、平和憲法をもっていながら、それを行使できない状況に自らを追い込んでいるように思います。

辛淑玉さんは、『日本国憲法の逆襲』〈岩波書店〉の中で、日本国憲法が求めた人間像として、ペルーの日本大使公邸人質事件の時の国際赤十字のミングさんをあげています。「あのとき、本当の人質の命を助けたのは彼だ。ミングは、権力の銃口とゲリラの銃口の間をバギーバック一つ引きずりながら、何度も往復し、人質を励まし、医者を連れて行き、食料を与え、まったくいばることなく飄々と『赤十字』のゼッケン一枚をつけて、あの事件の解決に立ち向かったのだ」と述べられています。

また、10年前の湾岸戦争の時、日本のある高校生が、アメリカのコラムニストに「日本には憲法第九条があるから軍隊を出さないのだ」と手紙を書きました。そのコラムニストは、早速そのことをコラムに書き、アメリカ中に発信しました。すると、そのコラムを読んだアメリカ人たちから、「アメリカにも九条がほしい」といった手紙が何通も返ってきたと言います。

日本国憲法第九条は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争の解決する手段としては、永久にこれを放棄する」としています。
日本に「期待」されていることは、猿や犬・キジになることではなく、憲法の理念を世界に普及することではないでしょうか。ミングやある高校生がとった行動に学ぶことが、日本のとるべき態度だと思います。

大阪府警が、検挙した暴走族108人にアンケートをとりました。その結果、「親から期待されていない」と回答した者が、8割、また、「親は放任」「しつけは厳しくない」が9割にものぼりました。

このことから、「ピグマリオン効果」が思い出されました。

アメリカのある学校で、教育学者が「子どもの可能性を予測するテスト」を実施しました。数人の子どもを伸びる可能性をもっていると予測します。それが正しかったかをみるとして、その教育学者は、一年後その学校を訪れました。結果、その子どもたちは、見事に他の子どもたちより伸びていました。

ところが、実は、予測というのは全くのでたらめで、アトランダムに選ばれた子どもたちだったのです。

では、なぜ、この子どもたちは伸びたのでしょう。分析では、「『あの子のどこが伸びる可能性があるのだろう』という、予言の根拠を探し出そうとする担任の好意的なまなざしが、子どもにとっては自己への信頼感を高めることになり、それが子どもを伸ばした」ということです。つまり、子どもへの「期待」が、子どもを伸ばす力になるということです。

「期待」、その中身が問われています。

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