人権エッセイ集

2002年度 などちゃんのアイドルトーク 01

12月号「ボランティア」

テレビの広告等でよく紹介される「チョボラ」という言葉をご存知でしょうか。「ちょっとボランティア」という意味だそうです。福岡の高森次男さんが、ボランティアについて次のような説明をされています。「ボルケーノという言葉があります。火山という意味です。ボランティアとボルケーノは親戚みたいなもので、アルファベットで書くと、どちらもVOLから始まります。つまりVOL(ボル)はフランス語で、『飛ぶ』『湧き出る』という意味で、自分の意思に関係なく、ついそうなってしまう状態を表す言葉です。また、ボランティアには、『自生的に生えてくるたくましい植物』という意味もあるといいます。つまりボランティアとは『我慢できないから始める活動のこと』なのです」と。

「部落差別の現実に深く学ぶ」とは、差別の現実に出会ったとき、「居ても立ってもいられない」という気持ちになって、地域に出かけ、家庭訪問を繰り返し、「何とかしなければ」と実践をすることなんだと、ある先輩に教えてもらったことがありました。また、「むなつき坂をこえて」を読んでみると、先達がなぜ同和教育にエネルギーを注いだのかが判ります。こうした取組は、法律や制度があるから行われてきたのではありません。「つい」とか「理屈やなくて」の世界だと思います。ボランティアとよく似たものだと思います。

ある日、駅の改札口を出たところで、数人の高校生が募金活動をしていました。「あしなが育英会」の募金活動でした。「あしなが育英会」とは、ご存知の方も多いと思いますが、病気や災害、自死などで親を亡くした子どもたちを物心両面で支える非営利団体のことです。育英会による募金活動と返還金等を原資に運営されているということです。年間3万人を超す自死が起こっています。また、これまでにない経済状況の中で、突然リストラにあった中高年の人びとが、列をなすように「ハローワーク」に通う実態があります。結果、修学が困難になった子どもたちが存在します。募金活動に声を嗄らして呼びかける高校生を前に、私は「何かしたい」という気持ちになりました。なぜ、そのような思いにさせたのかというと、大学進学の際に奨学金に助けられた経験があったからです。高森さんが説明されたように、ボランティアは、このような心の働きから始まるのだと思います。

今、ボランティアをテーマにした総合学習が展開されています。地域にある福祉施設を訪問して、高齢者や障害者の方々との交流も、積極的に行われています。こうした交流を通して、「つい」とか「何かしたい」という気持ちになってくれることを願います。一方で、ボランティアは、その行為が善意であればあるほど、落とし穴が待っていることにも気づいておきたいと思います。「チョボラ」は、そうした危険性が隠れているように思います。

中央教育審議会が、青少年の奉仕・体験活動の推進方策等について「答申」を明らかにしました。また、教育基本法の改正に関わっても、「ボランティアの推進」が挙げられています。ボランティアの本当の意味を踏まえたものにしてもらいたいと思います。

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