今年の夏も、8・6のヒロシマや8・9のナガサキ、そして8・15の「敗戦の日」と、戦争と平和・命をテーマにした様々な集会やセレモニーが開催されました。しかし、こうしたこととは裏腹に、世界では、「テロ」の報復合戦が繰り広げられ、多くの人々の命が奪われています。新たな「テロ」撲滅の名を借りた戦争が、起きようとしています。一方、国内では殺害事件が相次いで起こりました。それも、わずかな金品を奪うことを目的にした殺害事件が
続発し、本当にやりきれない思いがします。また、繰り返し起こされる児童虐待にも、胸が痛みます。さらには、人の命や健康と利益を天秤にかける企業のあり方が大きく問われています。雪印食品・日本ハム等は、わずかな利益得るために行ったことが、一方は倒産に追い込まれ、もう一方も未曾有の大打撃を受けています。しかし、これは大企業だけがもつ問題ではありません。会社の規模を問わず、様々な業種、職種、また行政も含めて持つ問題です。人の命を軽く見ることが、社会に蔓延しているかのようです。
「人の命は地球より重い」と言われます。この言葉は、’77年の日航機ハイジャック事件で、人質を救出するために収監中の容疑者を超法規的に釈放した際に、福田元首相が発言したことで広く使われるようになりました。この方策については、賛否が分かれましたが、今と違って当時の日本は「テロ」撲滅と称した報復戦に荷担せず、一人の命を何よりも大切にしていた事実を、忘れてはならないと思います。
広島市長が平和宣言の中に、「地球のためには、すべての人がお互いを愛する必要はない。必要なのは、お互いの違いに寛容であることだ」と、ケネディ元大統領が述べたことを引用していました。また、「水平社宣言」には、「吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せん」と述べられています。「人間の尊厳は無双の価値である」といわれますが、具体的には、自他を尊敬し、違いに寛容である態度とそれに基づく行動ではないでしょうか。