人権エッセイ集

2002年度 などちゃんのアイドルトーク 01

11月号「同窓会」

教職という仕事は、2度「子ども」と出会います。最初は、学校や園所に通う子どもたちとの出会いです。2度目は、卒業(園)してから、街で出会ったり同窓会での再会です。

何度か卒業式を担任として迎えてきました。それぞれが思い出深いものですが、その中でも、担任として一時期随分悩んだ学級がありました。しかし、卒業後回を重ねて同窓会を開いて集うなど、その度に小学校のときのあれは何だったのかと不思議な感じがします。 また、子どもたちが、様々な人生を歩んでいる中で、迷いや悩みがでてきたときに、相談に来るのもこの学級の卒業生です。

先日、その同窓会がありました。これまで、1度も参加しなかったある同窓生が、顔を見せてくれました。 出会った時に、「○○さんやね。久しぶりやな。元気にしてたの」と声をかけると、「先生、覚えてくれてたん。うれしい。きっと忘れられていたと思ってた」と返事が返っていきました。10数年ぶりの再会で、本当に懐かしく思いました。会が進んで酔いも回って、和気あいあいとした雰囲気になったとき、私の前に座り直して「あのとき、本当に先生困らせたわ。せやから、同窓会に来るのが・・・」と、そこまで言うと声が詰まっていました。

10数年の歳月を超えて、思い出される風景がありました。私が担任した頃、その同窓生はちょうど思春期を迎えて、精神的に不安定な時期でした。そんなこともあったのか、私や同級生に対して、反発したり、無視したりといった行動をとることがありました。当時、どのようにかかわればいいのか、悩んだことが思い出されます。きっと、同窓生自身も自分ではどうしようもできずにいたのだと思います。

それから10数年、あの時から持っていた心の中のわだかまりから解き放たれるときが、先に紹介した会話であったようです。私も同様でした。自分を取り戻す機会になったのかと思います。

24年ぶりにふるさとに帰ってきた「拉致被害者」の5人の方々が、ふるさとの家族や知人・友人との再会をしている様子を観て、刻々と自分を取り戻す瞬間だと思いました。ごく普通の同窓会と、今日本中で注目を浴びている出来事と同じにはできません。

でも共通していることは、心を癒すことができるのは、ふるさとであり、自分を受け容れてくれる家族や友人・知人の存在だということです。セルフエスティームは、ここから始まるのでしょう。同窓会は、こうありたいと思います。 もし、自分を受け容れてくれるはずのふるさとや家族を、隠さなければならないとしたら、どうでしょうか。

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