「なんとなく今年は良いことある如し 元日の朝 晴れて風なし」・・・ だれの歌だったかは定かではありませんが、毎年正月には思い出します。
新年を迎え、今年こそはと決意を新たにされている人も多いと思います。
しかし、こうした気持ちで新年を迎える習慣は、ヨーロッパにはないそうです。
そのことについて岸田秀さん(和光大学教授)は次のように述べています。
「わたしはヨーロッパにしばらく住んでいたことがあるが、ヨーロッパには忘年会のようなものはなかった。
英語にもドイツ語にもフランス語にも忘年会に当たる単語はない。
年の暮れにはクリスマスが静かに祝われるだけで、特に年末だからといって飲んだり、騒いだりはしない。
また、ゆく年を見送り、新たな気持ちで新年を迎えるといった感覚もヨーロッパ人にはないようである。
元日に会っても『あけましておめでとうございます』とか、それに類する挨拶はせず、ほかの日と別に変わりない。
」(岸田秀著『二番煎じものぐさ精神分析』青土社)
このことは、時間や歳月をどう考えるかの違いだと言われます。
例えば西暦はキリストの生まれた年から始まり、現在までつながっています。
一方、日本では元号が使われています。
天皇の交代などがあれば新たな元号が定められ、「新しい時代」が始まります。
つまり、ヨーロッパ圏の人たちにとって時間は過去から未来につながる一本の線ですが、日本では時間は区切ることができ、そして新たにすることができるものととらえられているのです。
また、厄や穢れなどについての考え方の違いとも言われます。
日本では、「禊」や「祓」によって罪や穢れを取り去って「心機一転やり直す」ようなことが行われます。
しかし、ヨーロッパの多くの人々は「最後の審判」による裁きを待たなければなりません。
要するに、わたしたちは旧年を忘れ、過去を区切って、新年や未来を迎える切り替えの良さと気楽さを持っているのです。
火星が大接近した’03年、沖縄復帰の日に有事関連法案が事実上成立しました。
国連決議を経ないままイラク戦争は始められました。
日本は「武力行使はしない」のに武器をもった自衛隊のイラク派遣を決めました。
今年こそ、良い年であってほしいと思います。
しかし、新年を迎えた新たな気持ちは、昨日を振り捨てた無責任な祈りではなく、こうしたことを胸に浮かべながらの決意でありたいものです。