先日の運動会の時のこと、近くで委員会活動をしていた子どもたちに「運動会って好きか?」と聞くと、意外にも「運動は好きだけど、運動会は嫌い」という答えが多く返ってきました。新聞の投稿欄でも、「昔の運動会の方が面白かった」という意見がみられます。 昔の運動会と今の運動会、一体「何」が変わったのでしょうか。
運動会は一八七四年に明治政府が招いた英国の軍事顧問団の提案により築地の海軍兵学寮で「競闘遊戯」として行ったのが始まりであるとされています。海軍の教練からスタートしただけに、軍隊色が強く、「障害物競走」「綱引き」は、兵隊の俊敏さ、体力を鍛えることがその目的であったようです。
しかし最近では、子どもたちが勝ち負けだけに固執しないようにと徒競走を廃止したり、個人の順位をつけない学校も多くあるようです。「成績には点数をつけているのに、運動には順位をつけないのか」「運動の苦手な子には運動会が苦痛になる」など様々な意見があります。加えて現在は、表現やダンスなどの「見せる」要素も加えられ、その目的は始まった頃とはかなり変化してきているものといえます。
以前、県外のある小学校に運動会を見に行ったときのこと。6年生の子どもたちが”反戦・平和”をテーマに自分たちで創作したと思える演技をしていました。テントの下に地域の高齢者の方が招待されていたのですが、そのほとんどの人が涙を流してその演技を見ておられました。演技を終えた子どもたちもやりきった充実感に満ちあふれて退場していきました。私も子どもたちの真剣さに驚き、「何があの子らをあんなに一生懸命にさせるのだろう」と鳥肌が立ったのを覚えています。どんな練習をしたのかはわかりませんが、ただ教えられたダンスを間違いなく踊ることだけではあの感動は伝わってはこなかったと思います。
運動会は、単に体育の授業参観ではありません。内容や種目を決めるときに子どもたちの意見が反映され、子どもたちの創意工夫が生かされているのか、「運動が嫌い」という子や怪我をして運動会に出られない子どものことがみんなで話し合われているのか、子どもたち一人一人が活躍する場が保障されているのかといった運動会に至るプロセスが大切だと思います。ダンスを間違いなく踊ることや勝った負けたの結果だけに終始することなく、運動会の中で自分なりの存在感を持てたとき、子どもたちから「運動は嫌いだけど、運動会は好き」という答えが返ってくるかもしれません。