甘い香りの、真っ赤なりんごが店頭にならぶ季節になりました。この赤さの秘密は、「葉摘み」とよばれる作業にあります。秋を迎え、りんごの果実が赤くなり始める頃に行われるのがこの作業で、実のまわりに繁った葉を摘むことで日光がよく当たるようになり、全体がきれいな赤色になっていくのだそうです。これは、見た目のきれいなりんごを望む消費者のニーズにこたえるための工夫です。
でも最近、この「葉摘み」をせずに育てた「葉とらずりんご」が注目されています。葉の陰になるために色むらができたり、葉の痕が残ったりするそうですが、甘みが強く、味はこちらの方が格段に良いのだそうです。見かけよりも味が、中身が問われるようになってきたといえます。
一方で、食品の産地や原材料、消費期限などに関する偽装事件が相次いでいます。食に対する信頼を失墜させた製造・販売業者の責任は重いものがあります。しかし、テレビコマーシャルやブランドイメージ、さらには包装紙など、見かけで値打ちを判断してしまう私たちの側にも問題があるのではないでしょうか。
90歳を過ぎた今も、自らの被差別体験をもとに講演活動を続けておられる江口いとさんは、『人の値打ち』という詩の中で「何時かもんぺをはいてバスに乗ったら隣座席の人は私をおばはんと呼んだ…よそ行きの着物に羽織を着て汽車に乗ったら人は私を奥さんと呼んだどうやら人の値打ちは着物で決まるらしい」と、見かけで人の値打ちを決めてしまう社会の価値観をするどく指摘されています。続けて、「立派な家の娘さんが部落にお嫁に来るでも生まれた子供はやっぱり部落の子だと言われるどうやら人の値うちは生まれた所によって決まるらしい」と、こうした見方や考え方は部落差別にもつながるものだと述べられています。そして、「人々はいつの日このあやまちに気付くであろうか」と結ばれています。見た目のきれいさよりも本当のおいしさが味わえるという「葉とらずりんご」が評価される世の中であってほしいと思います。しかし、「葉とらずりんご」が、また値打ちを判断するための新たなブランドイメージになってしまわないことを願います。