子どもたちが犠牲になる事件のたびに「いのちの尊さ」を教えていく必要があると言われ続けています。果たして「いのちの尊さ」は誰かに教えてもらってわかるものでしょうか。
幼い頃、自分の家族はずっと健康で、ましてや死ぬなんて想像もつかないことでした。七年前に父が脊髄の難病にかかり歩くことができなくなり、三年前に祖母が亡くなりました。
そのことから、人が生きている時間には限りがあり、命がいつか尽きていくものだということをあらためて実感しました。
自分のことを本当に大切にできる人が、自分以外の誰かのことを「大事にする、尊重する、認める」ことができると言われています。自分をないがしろにして誰かを大事にするなんてことはとても不可能なことです。子どもは、「あなたはかけがえのない大事な存在だよ」というメッセージを、常にそばにいるおとなの言葉やしぐさから感じ、大切な自分に気づくのではないでしょうか。
先日、授業研究があり共同研究者として来てくださった先生から、「日々の一時間一時間の授業の中で、われわれ教師がどれだけ子どもの声をしっかり聞けているか、学びからこぼれている子どもはいないか、授業の子どもの事実をしっかり見て検証すべき」との厳しく温かい助言をいただきました。そして、授業の中でひたすら子どもの話を「聞いて、もどして、つなぐこと」が大切だと言われました。
「いのちの教育」や「人権教育」は、教科の学習とは全く別のかけ離れた教育ではありません。
「いのちの教育」は私たちが子どもたちに向かう姿勢の中にもあるように思います。子どもたちに「自分は大事にされているんだなあ」と感じさせることが、「いのちの尊さ」に気づかせることにつながるのではないでしょうか。
一日の忙しい生活の中で、子どもたち一人ひとりがどんな表情をしてどんな話をするのかじっくり見て、聞くことを忘れないようにしたいものです。