先日、全人教・佐賀大会に行ったときのこと。
都合により、往きはフェリーに乗りました。船内には様々な人がいました。トラックの運転手さん、家族連れ、観光旅行客、朝鮮語で話す人……。そして、修学旅行帰りの九州地方の中学生。 翌朝、顔を洗いに行くと、洗面所には二人の男子中学生が。寝ぼけ眼で見るともなく見ていると、一人は顔を洗うでもなく、ぶらぶらともう一人の様子を見ています。どうやらその子はダウン症のようでした。 そうこうするうちに、顔を洗い終わった子は、歯ブラシに歯磨き粉をつけて、いきなりもう一人の口に歯ブラシを突っ込んで磨き始めました。 「同級生がそこまでするの?先生は?」と驚く私を尻目に今度はコップの水を渡し、「ペエッ、ペエッ」と声をかけます。かけられた子がその声に促されて口をすすいでいる頃、先生らしき女性が来て、「ありがとうね」と一言。でも、二人は特に表情を変えるでもありません。おそらく毎日の給食(弁当かな?)の後もこうした光景が見られるのでしょう。
やがて、船は九州に。残念ながらUSJの袋を抱えた集団の中に彼らを見つけられませんでしたが、なんだかホットな気持ちで私の全人教大会はスタートしました。さて、私が参加したある分科会では、関東地方の「特別支援校」の教員が、「障害児」の「普通高校」への進学に向けて孤軍奮闘した様子を報告されました。「ここ数年、何人かの『障害児』が『普通高校』に進学するものの、途中で『特別支援校』の高等部に戻ってくる。本人は決して戻りたくて戻ったのではない。『障害児』が『普通高校』に進学することは一般的でない現状において、今は彼に『君の選択は素敵なものだ』と言いたい」と。
学校教育において、障害のある子どもが大半の時間を障害のない子どもと普通学級で共に包括的な教育を受けること(インクルーシヴ教育)が世界の潮流となっている中、「戻りたくて戻ったのではない」彼を思うと、何とも言えない気持ちになりました。 すべての人の思いや願いを実現する進路保障は、誰もがそこにいることが普通であるという空気の中で進んでいくものと考えます。「特別」とか「普通」とか、そんな言葉が要らない教育を、人権が空気のように感じられる社会を創造したいものです。 フェリーで出会った彼らの未来に希望を感じつつ、九州から帰ってきました。