「私は今、とてつもないかなしみといかりでいっぱいです。
それは、ニュースで福島原発のことや、ほうしゃせんのこと、同じ日本人なのに、あぶないものあつかいされること、新聞で外国から『福島という名前をやめたらどうだ』などの記事を見ると、涙と怒りがこみあげてきます。
私は絶対、福島という名前をあきらめません。それは、福島が大好きだからです。」 (写真集『だけど、くじけないー子どもたちの元気便』より)
12歳のほのかさんの怒りは、地震に向いているのではありません。
原発に向いているのでもありません。
「同じ日本人なのに、あぶないものあつかいされること」「『福島という名前をやめたらどうだ』と言われること」に対して怒り、悲しんでいます。
福島にかかわりのある人やものを避けよう、遠ざけようとする排除の意識が多くの福島の人たちを怒り、悲しませているのです。
三・一一の地震発生から一年あまりが経った今、福島に対するこうした差別意識が問題化しています。
地震が発生する前には考えられなかった人権問題です。
人体に影響を及ぼす放射線を浴びたものについて対応が慎重になるのは当然です。
しかし、実態がよくわからないまま、福島をひとくくりにして避けるということは、そこに暮らす人々の存在を否定してしまうことにつながります。
より正確な情報をもとに、ともに生きるなかまとして、私たちはこの問題と向き合わなければなりません。
そのために大切なことは、福島に暮らす人と自分との接点を見つけ出すことだと思います。
写真集に出てくる子どもたちは、皆それぞれの思いや願いを抱いています。
私たちが日々学校・園・所で出会う子どもたちにもそれぞれのくらしがあり、いろんな思いや願いを抱いています。
そんな子どもたちが重なって見えたとき、福島の問題は私たち自身の問題として見えてくるのだと思います。
「未来の自分は今、私が願っている様なやさしい人になっていますか。外に出てみんなで遊べる、いつでもみんなと会える福島県になっていますか。」(前出写真集より)
11歳の万璃さんのこの問いにしっかりと応えられるよう、きちんと取り組んでいきたいと思います。