そうじの時間、各クラスの当番の子たちが、教室のゴミを集めてゴミ置き場に向かいます。いっしょに私もときどきゴミ置き場に行くのですが、ゴミの出し方もさまざまです。きちんと置いていく子もいますが、無造作にゴミ袋を置いていったり、放り投げていったりする子もいます。そんな子たちには、「こうやって結び目が上になるように置いたらゴミを集めに来てくれる人も助かると思うから、今度からこうやって置いてな。」と声をかけます。子どもたちは、「えっ、そうなん?知らんかった。」と袋を置き直してくれます。
実は、私も当初はこのようにしていませんでした。こういうことに気づいたのは、町のパッカー車が学校に来た時のことです。作業員の方がゴミをパッカー車に運び入れる際、逆向きのゴミ袋から、突然ゴミが散乱しました。路上に散らばったゴミを、丁寧に拾い上げて、荷箱に載せられました。そして、路上もきれいに掃いて、次の収集場所に移動されました。
作業員の方の手際良さに感心するとともに、ゴミの出し方に、私も気をつけるようになりました。
さて、小学校四年では社会科で「くらしとごみ」について学習をします。清掃センターの見学をして、そこで働く人の思いを聞き取りしています。そこに人が働いているからこそ、自分たちのくらしが成り立っているのだということを学びます。そして、子ども達は「パッカー車で働く人のことを考えてゴミを出す」などの意見を出します。こうした授業のように、「本物に触れ、体験し、学習したこと」が、日常生活の中に結びつき、行動することができた時に本当の「学び」となると言えます。
私たちは、子どもたちの学校生活、教育活動のどこを切り取っても人権教育が存在することを提唱してきました。掃除の場面でも、人権教育が生きています。