昨年、「世界の果ての通学路」という映画が公開されました。ジャングルや砂漠、山岳地帯など、過酷な環境の中、数時間もかけて学校へ通う子どもたちの様子が描かれています。
命がけで通いながらも、「学校は自分の未来を切り拓くチャンスの場だ」と将来の夢を語る子どもの瞳は輝いていました。
ある学校の話です。3学期の始業式の前日、一人のある子どもが、「学校はいつからですか」と聞きに来ました。職員室にいた教員は、「明日からやで、学校に来るのを楽しみにしてくれてるんだね。うれしいな。明日待っているからね」と握手をしました。その子は、学校で一番気になる子でした。学校がその子にとって希望の場所、居場所になっていると強く感じました。
また、ちがう学校では、DVを受けた母親と「シェルター」へ一時避難することになった子どもがいました。急なことだったので、机やロッカーに荷物を置いたまま、連絡も取れず、その後転校する話が伝わりました。「二度と会えないんだ。もっとしてあげられたことがあったはずだ」と先生は悔やみます。しばらくして、その子が学校に戻ってくることができた時、「会いたかったよ。寂しかった」と抱きしめたそうです。その先生は、もう一度「チャンス」を貰ったと感じ、新たな「出会い直し」が始まります。
ところで、「一期一会」という言葉は、千利休の弟子、山上宗二が書いた茶道書にあり、「茶会に臨む際は、その機会を一生に一度のものと心得て、主客ともに互いに誠意を尽くせ」という一文が語源だそうです。転じて、四字熟語として使われていますが、「初めて会う人だけでなく、毎日会う人にも今日が最期と思い、その瞬間を大切にすること」という意味が含まれています。
同和教育は、「今日も机にあの子がいない」という言葉に代表される部落の子の長期欠席に対して、「何とかしなければ」「いてもたってもいられない」という先達の思いからスタートしました。人権教育へと発展させてきた今でも、子どもが学ぶ権利、未来への希望を抱かせるための取組の根本は同じです。
新年度が始まり、2ヶ月が過ぎようとしています。人権教育の営みは、教材を使って学習する時だけではありません。一日一日の子どもとの全ての「出会い」を、「チャンス」と捉え、向き合っていくことが、私たちにとって一番大切なのではないでしょうか。