今年、教員免許更新の年になり、タンスの奥底から教員免許状を持ち出してきました。コピーをとった後、二十歳ほど年下の先生に見せると、「今と全然違いますね」と言った後、「先生って、本籍和歌山だったんですね」と。見てみると、確かに自分の名前の上に、『本籍地 和歌山縣』と書いてあります。
ところで、自動車の運転免許証は2007年から順次本籍地(国籍)の記載がなくなりました。(奈良県は2009年より)しかし、以前よりも分厚くなった免許証に内蔵されたICチップから、必要に応じて警察官のみが本籍地などの情報を読み取れるようになっているそうです。
運転免許証は、身分証明書として、レンタルビデオの会員証等の発行時に見せることがありました。場合によっては「コピーをとらせていただきます」と言われることもありました。国籍や本籍地という個人情報がいとも簡単に扱われていたのだと考えると、ゾッとせずにはいられません。
1970年代、被差別部落出身者を雇用や結婚にあたって排除するため、日本中の被差別部落の住所を一覧にした「部落地名総鑑」が明らかになり、大きな問題になりました。昨年には戦前の「全国部落調査」の復刻版を出版しようとする動きが発覚し、裁判になっています。今もなお、その人自身よりも、その人の出自やルーツを見て判断しようとする人がいます。そのようなことで就職の自由が奪われたり、結婚が不成立になったりすることは、人の命に関わる問題であり、許されないことです。
この数十年で国籍や本籍地などの個人情報が大切に扱われるようになってきたことと逆行するように、ある国会議員の戸籍謄本公開問題があった今年の夏でした。