2017年の調査で日本が144か国中114位でした。さて、これは何の順位でしょう。世界経済フォーラム(WEF)が各国のジェンダー不平等状況を分析し公表した「ジェンダー・ギャップ指数」の順位です。日本はここ数年、101位、111位、114位とどんどん順位を落としています。
今年の春は女性差別の話題がメディアを賑わせていました。なかでも大相撲と土俵の問題は、あらためて考えてみる必要があります。「人の命を救おうと土俵に上がった女性看護師に向かって『降りなさい』とは何事か」という多くの批判に対して、協会は「不適切でした」と謝罪したものの、その後、土俵に大量の塩を撒いたことについてはさほど言及されていません。女性はケガレているということなのでしょうか。
女性を土俵に上げない理由として、1つめに「土俵は神聖であるから」とあります。それならば、土俵には力士と行司以外は性別に関係なく上がってはいけないはずです。表彰式や懸賞金授与やスポンサーの旗が回るといった俗っぽいことが平然と行われているのも不思議です。
2つめの理由として「古くからの伝統だから」とあります。しかし、歴史を遡ってみると、大相撲が現在の様式になったのは江戸時代だと考えられていますし、『日本書紀』の雄略天皇13年(469年)には、天皇が2人の女官に命じて褌を付けさせ「相撲」をとらせたと書かれています。伝統というのは、その時代に応じて変わっていくものですし、変わるからこそ次の時代にも残っていくのではないでしょうか。
「死」や「血」をケガレとして避ける思想が庶民にも広がっていったのは、徳川綱吉が出した「服忌(ぶっき)令」がきっかけだと言われています。今でもお葬式に参列すると「清め塩」が渡されたり、家族の誰かが亡くなれば「喪中」として年始の挨拶を控えたりする風習が残っています。小学生が修学旅行で訪れる広島県のある島は、かつては女性が月経になれば隔離されたり、島内で今も出産ができなかったり…と、ケガレの忌避が今も色濃く残っています。女性が上がった土俵に塩を撒いたのも、「死」や「血」に触れたり、ケガレを取り除きキヨメたりする仕事に従事していた人たちを差別してきた(今も差別している)のも、ここからきていると考えられます。
女人禁制だった高野山は、時代の変遷とともに誰もが訪れることができるようになりました。男子が先、女子が後だった学校の名簿も、男女混合名簿に変わってきつつあります。これまで当たり前とされてきた「伝統」や「慣習(因習)」について、子どもたちや保護者といっしょに考え、話し合ってみるのもいいかも知れませんね。