先日、ある研修会で車いすに乗った人が、討論の場面で「障害者差別解消法ができた日、私は新しい誕生日をもらった気がした。でも、学校は何も変わらない」と涙ながらに話されました。
ここ数年「障害者権利条約(2014)」の批准や「障害者基本法」の改正(2011)など、「障害」者を取り巻く状況は大きく変わりました。最も大きな変化は、「障害」ということのとらえ方です。これまで、「障害」者が困難に直面するのは「その人に『障害』があるから」で、その困難を克服するのはその人の責任だとする「医学モデル」の「障害」のとらえ方から、「社会の側に『障害』者を受け入れようとしない壁があるから、困難に直面するのだ」という「社会モデル」としての「障害」のとらえ方に大きく変わったことです。「障害」があるから不便(差別される)なのではなく、「『障害』とともに生きることを受け入れない社会であるから不便(差別される)」なのだ、と発想の転換が起こったのです。
2016年4月1日、「障害」者の悲願であった「障害者差別解消法」(「奈良県障害のある人もない人もともに暮らしやすい社会づくり条例」も同年施行)が、施行されました。第一条を「全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互の人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現」とし、国としての新しい方向が示されました。このような変化は、当事者にとって「新しい誕生日をもらった」と感じるほどの劇的な変化だったと思います。
しかし、学校現場ではそのような劇的な変化が起きてないのが事実です。私たちは、これまでも「共に生き、共に学び、共に育つ」インクルーシブ教育をめざしてきました。研究大会でも、「障害」のある子どもが普通学級で学ぶ実践やインクルーシブな方向性を持つ実践が報告されてきましが、全ての学校で、そのような実践が簡単には実現できないのも現実です。しかし、現状にあきらめるのではなく、どうすればインクルーシブ教育が実現できるかを考え、インクルーシブな方向性をもつことが大切です。まずは、「障害」者を取り巻く制度や法律・条例がどのように変化していて、「障害児」教育にどのような変化が起こっているのかを知ること、「障害」のある子もない子もなかまと当たり前に、同じ教室で過ごすインクルーシブ教育への理解を深めることが必要です。