「筑子(こきりこ)の竹は七寸五分じゃ 長いは袖のかなかいじゃ…」
ある日の放課後、どこからか子どもたちの『こきりこの唄(こきりこ節)』が聞こえてきた。その声の方に行ってみると、10人ほどの6年生が、もうすぐ行われる全校人権集会に向けて楽器と歌を練習しているところだった。こきりことは民俗楽器の一種で、20㎝ほどの長さの細い竹でできている。子どもたちは両手に1本ずつ持ち、器用にくるくる回して打ち鳴らしていた。他にも太鼓をたたいている子もいれば、茶筅を細長くした形状のもので細かい溝を付けた棒をこすって音を出している子もいた。その楽器の名前は『簓(ささら)』というらしい。
指導してくださっているゲストティーチャーの方にお話を聞くと、ささらは平安時代(諸説あり)以降、田植えの際に五穀豊穣を願って行われた『田楽』に由来するらしい。6年生の社会の教科書を開いてみると、室町時代の農民の様子の絵の中にささらを持って踊っている人が描かれているではないか。これまで幾度となくこの絵を使って学習してきたというのに、農業道具にばかり気を取られていた自分に気づいた。さらに『洛中洛外図屏風』にもささらを鳴らして物語り(説経節)を語る被差別民衆がいることを知った。田楽は時代がすすむにつれて猿楽などと融合し、やがて能楽として完成されていく。芸能の祖と言える。そして、他のさまざまな職種とともに被差別身分に組み込まれていくことになる。
こきりこもささらも『たけかんむり』の漢字で、竹を材料にしている。古くから、竹や笹は神が降りてくる『アンテナ』の役割があると信じられてきた。豊作をもたらす神が田に降りて来るようにと願ったのであろう。そういえばアメノウズメは両手に笹を持って天岩戸の前で踊ったとされているし、正月飾りや七夕にも竹や笹が用いられる。そして、神の世界と人の世界をつなぐ祭礼等の多くの場面で、被差別民衆が重要な役割を果たしてきた。
こんなことを考えていると、なんだかものを見る眼が少し変わったように思う。さまざまな切り口から部落問題を学ぶことができそうだ。