人権エッセイ集

2018年度 あいどるとおく

9月号「語り継ぐ」

7月初旬、西日本豪雨が岡山県を中心に大きな被害をもたらしました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された地域の一日も早い復興を願うばかりです。
 

さて、岡山県といって頭に浮かぶのは「渋染一揆」です。人権教育テキスト『なかま』にもあるので知っている方も多いと思います。では、「美作騒擾(みまさかそうじょう)」という歴史上の出来事を知っているでしょうか。
 

美作騒擾は1873年(明治6年)に北条県(岡山県東北部)で起きた反政府一揆で、徴兵制や新しい税に対する不満と、2年前に出された「解放令(賤称廃止令)」による「今まで下位にあった者が浮上することへの危機感」が合わさって起きたものです。武装した農民たちは、当時の県庁へ強訴に向かい、途中の被差別部落には「わび状」を出すように迫りました。その理不尽な要求を突っぱねた部落を襲い、火を放ち、老若男女を問わず虐殺に及んだという陰惨な事件でした。殺害された被差別部落の人びとは18人。その後捕まった農民のうち死罪が15人。処罰者数は2万7千人におよぶ大事件なのに、これまで歴史ではほとんど取り上げられてきませんでした。「襲った側」も「襲われた側」もつらい過去として140年間沈黙を続けてきたのです。このように、避けて通ろうと思えばできたこの出来事を、地元の加茂人権問題研究会の皆さんが掘り起こし、教材にされたと聞きました。そこに至るまでの努力は相当なものだったと思います。
 

これを聞いて頭に浮かんだことがあります。一つは広島や長崎で被爆された方々や沖縄戦を体験された方々が長い間その事実を語らなかった、語れなかったことです。ヒロシマ修学旅行で下原隆資さん(被爆証言者・故人)が「思い出したくないことじゃが、黙っとったらいかん。語らにゃいかん」と話されたのを思い出しました。もう一つは、近年よく耳にする、都合の悪い歴史を修正したり隠蔽したりしようとする風潮です。美作騒擾は、地域住民共通のつらく悲しい負の歴史かも知れません。しかしそれを隠さず、目をそらさずに語り継いでいくことが大切だと思いました。

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