「ハンセン病って、なに?」
私は子どもにそう聞かれて、説明することができませんでした。昨年度5年生を担任していたときのことです。今年度6年生の担任となり「このままにしておけない」と取組を始めました。
ハンセン病(癩病)は、その姿から業病と言われ、多くの方が差別され、地域から排除されてきました。さらに、国は全患者を隔離するという政策をとったのでした。病気に苦しめられたうえ、人々からも苦しめられてきた患者たち。でも今ではその病名を聞く事はほとんどありません。特効薬が開発され、すぐに治る病気になりました。
しかし現在も隔離施設だった療養所での生活を余儀なくされている方々がおられます。回復してもなお、差別や偏見が続き、社会復帰できないのです。
11月に「邑久光明園・長島愛生園」を訪れました。長島には、戦前から療養所があったにもかかわらず、橋がかけられたのはわずか30年前。ちょうど『人間回復の橋 30周年』を祝う記念イベントが開催されていました。自治会長さんたちのお話も聞きましたが、みなさん元気で明るく過ごされ、暗いイメージはありません。自分たちで自治会を運営し、納骨堂を維持してこられました。しかし高齢化が進み、いつまで続けられるか分からないとも聞きました。
現地で聞いてきたことや差別の現実を子どもたちに伝えました。回復者の方を学校に招いて、直接出会わせることもできました。話を聞き、学習を終えた子どもたちは「はじめ怖いと思ってしまっていたけど、普通のおっちゃんやった」「私たちがこの真実をもっと知って広げていかなければいけない」と、無知が生み出す差別や偏見に気づくとともに、国や地方自治体のしてきたことに対して怒りすら覚えました。
子どもの「なに?」というたった一言の疑問がきっかけとなり、少しずつ積み上げてきた学習は、今にも風化しそうな差別の現実を見直すきっかけにもなりました。