4年生の子どもたちと、食肉産業について学習を進めているときです。お肉は牛や豚や鶏たちからできていることは知っている。でもそのお肉と牛たちの『あいだ』にはどんなことが行われているのか分からないとほとんどの子が答えました。「殺して(割って)いる」ことは想像がつきます。「殺されている」イメージだけで、「牛さんかわいそう」と口にする子どもたちも多くいました。
そこで、あるお肉屋さんに協力していただき、牛舎とお店を見学させていただきました。生きている牛を間近で見る子どもたちは、 「めっちゃでかいな」と興奮気味で話をしたり、怖くて近づけなかったり、様々な感情を抱きながら牛と出会いました。
「あの牛たちは殺されてお肉になるんか」
「やっぱり牛たちがかわいそう」
と言葉にする子どもたち。牛をさばく様子を白黒写真で見ていく時には目を向けることができない子どももいました。
その中、ある子どもが、
「かわいそう、かわいそう、ってそんなん言っても、お肉食べてるの自分たちやん。この人たちがおらなお肉食べられへんやん。まぁかわいそうなんも分かるけど…」
と想いを伝えました。自分の生活と重ねて考えている姿が見られた瞬間でした。
「ここで働いている人しかこの様子は見ることができない」
と言葉にする子どももいました。
「なんでここで働いている人しか見られないのかな」
と問い返してみると、
「この様子を見ると食べることができなくなるから」
「血を見ると怖いと思うから」
と言葉にしていました。この子どもたちが感じている「働いている人しか見ることができない」「この様子を見るとお肉を食べられなくなる」という意識がこの社会の中で、お肉と牛たちの『あいだ』を見ることができないことにつながっているのではないでしょうか。
学習を進めるなかで、「知らないことを知ると得する気分になります」と感想を書いている子どもがいました。社会には、この食肉産業のように、見ようとしないと見えない、知ろうとしないと知ることができないものが多くあります。「見ない」「知らない」ことが、少なからず差別や偏見につながります。この学習を通して、「見る」「知る」ことのよさを感じとり、これからの生活につなげてほしいと願うとともに、改めて自分自身にも「見る」「知る」ことについて問い直していかなければと感じています。