以前、担任をした学級で場面緘黙のAさんがいました。子どもが自分の意思で「わざと話さない」と誤解されることがありますが、それとは全く異なります。その症状が、何年も続くことがあったり、リラックスできる場面でも話せないこともあったりします。原因や発症メカニズムはまだ解明されていませんが、「話すことが怖い」のではなく、「自分が話すのをほかの人に聞かれたり見られたりすることに怖れを感じる」ととらえる考え方が主流となっているそうです。
4月、Aさんに話しかけても、微笑んではくれますが言葉は返ってきません。私はAさんのことを知りたくて、家庭訪問や電話でお母さんと話をしました。私はAさんが発表できなくても、書くことで考えを伝え合えればいいと思っていました。しかし、一緒に過ごすAさんの表情を観ていると、きっと話したいのではないかと感じたのです。Aさんはどの授業でも、ノートに自分の考えをしっかりと書いていたので、「みんなに発表してみいへん?」と言って、ゆっくり待ってみました。Aさんが嫌がっていたらすぐにやめようと思い、ドキドキしながら待っていました。Aさんは、はにかみながら黙ったままです。無理強いにならないよう、数分待った後、Aさんの考えを代わりに紹介しました。そんなことを何回かするうちに、近くの子がAさんと一緒にノートを読んでくれることがありました。それをきっかけに、Aさんが発表するときは、友だちも一緒に発表するようになりました。学級の子たちの方がAさんのことを分かっており、一緒に発表してくれたり、待ってくれたりしたのが安心につながったのだと思います。
二学期になってから、ゆっくり待っているとAさんが、一人でも考えを発表できるようになったのです。初めて発表できたときの学級の子たちの喜ぶ姿が忘れられません。この子たちもAさんのことをずっと待っていたのでしょう。学年が終わるころには、話し出すのに少し時間はかかるけれど、はにかみながら発表するAさんの姿がありました。
サラマンカ声明にもあるように、すべての子の学びの保障がインクルーシブ教育の理念です。教室がみんなの居場所であり、どの子も安心して、自分の思いや考えを語れる教室であってほしいと思います。