ある日、職員室で二人の同僚が、職員健康診断の結果について話していました。その一人が、「講師」申請の手続きのためにコピーをとった診断結果を見ながら、「これをこのまま出していいのでしょうか」ともうひとりに相談していました。私もその会話に入り、「どうしたの」と尋ねてみると、血液検査の中のある数値が高いことが気になるようでした。「私なんか、そんなのばっかりだよ」と言いましたが、どうやらこの結果が、自分の雇用に影響が出るのではないかと、思っているようでした。「厚労省の啓発冊子には、『雇入時の健康診断は、労働者を雇い入れた際における適正配置、入職後の健康管理に役立てるために実施するものであって、応募者の採否を決定するものではありません』と書かれているから、健康診断を受けていることが分かれば大丈夫」と話をしました。
もうひとりの同僚も悩んでいるようで、「健康診断の結果で『要再検』だったのですが、再検査の結果、何ともなかったんですけどね。これって、何かしないといけないのでしょうか」とのことでした。「仕事上、何か配慮が必要なことがあれば、管理職と相談したらいいと思うよ」と伝えると「いいえ、(配慮は)何にも必要ありません」とのことでした。
最近の傾向なのか、健康でなければならないという考え方にとらわれ過ぎているのではないかと感じられる出来事でした。テレビを観ていても、体を健康に保つためにはどうすればよいかや、どんなものを食べるとよいか等を紹介する番組が多く放送されていることに気づきます。もちろん自分の健康に関心をもち、保とうとすることは決して悪いことではありませんが、それが「健康でなければならない」さらには「不健康は悪」となってしまっていないかと危惧します。
癌で亡くなった私の父は、発症してから何度も手術を繰り返しながらも、自分の病気と向き合って過ごしていました。子どもたちの中にも、身近な人が癌になったり、また自身が小児癌を患っていたり、過去に経験した子どもたちもいます。現在、国からは学校現場に「がん教育」の実施が推進されていますが、癌に限らず、病気になることが悪いことととらえられるような学校・園・所になってはいけないと思います。病気と上手に付き合いながら仕事を続けている人も多くいます。「病気ととに生きる」「病気とともに生きている人とともに生きる」社会の創造が必要だと思います。