先日妻が出産し新しい家族が増えました。幸いなことに出産に立ち合うことができましたが、私は側にいて「頑張れ」「もうちょっと」と声をかけて体をさすることしかできませんでした。産声を上げた瞬間は、命をかけて頑張ってくれた妻への感謝と新しい命の誕生に自然と涙がこぼれました。命が誕生することの奇跡、生きていることのすばらしさ、尊さを肌で感じました。水平社博物館の最初の展示には、ある児童のワークシートが展示されています。ワークシートには、「自分のいいところは?」という質問に「生きてる」と書いてありました。その児童の母親は、児童が帰宅後ランドセルの中身を一緒に確認している時にプリントを見つけ、読んでからすぐに抱き締め「すごいね!とても素敵な解答だね」とほめました。母親は日頃から「生きているだけで〝はなまる〟なんだよ」と言っているそうです。
沖縄の戦跡をフィールドワークした時に、案内をしてくれていた方が「戦争が起きて一番怖いことは何だと思いますか」という質問をされました。私は戦争に巻き込まれて命を落としたり、大切な家族をうしなったりすることだとその時は思っていました。しかし、その方は「戦争で一番怖いのは、当たり前のことが当たり前ではなくなることだと思います。戦争が始まる前は、命が一番大切というのが当たり前に言われていたのに、戦争が始まるとそうではなくなり、それが言えなくなる。それが怖いのです」と語られました。
戦後78年が経ちましたが、ロシア・ウクライナ情勢はもとより、日本政府はじめ世界の多くの国々が、「どの国に生まれた命も大切である」という視点に立った対外政策を自国民に訴えようとしていません。「当たり前のことが当たり前ではなくなること」が近づいているような気がします。また、教育現場でも子どもたちが「死ね」「消えろ」と言っている場面を見かけることがあり、そのつど苦しい気持ちになります。子どもたちがオンラインゲーム等で見えない相手に対して、そのような言葉を、頻繁に使っている現実もあります。母親が言っていた「生きているだけで〝はなまる〟」とめの前の子どもたちが思えるような実践を進めていくと同時に、その言葉が当たり前に言い続けられるように自分ができることをしていきたいと思います。