子どもたちの姿で印象的だと感じるエピソード、みなさんにはありますか。私の直近のエピソードの1つは夏休みのわが子の姿です。夏休み、保育園でのカブトムシ飼育を「家でもやりたい。」と言う息子と近くの森林に仕掛けを設置しました。次の日の早朝。カブトムシ捕獲を楽しみに設置場所へ行くと、カブトムシはおろか、仕掛け自体が無くなっていました。「パパ、仕掛けどっかいったな。」半泣きの息子。様々な厳しさを体験した出来事でした。
数年前、担任した子が当時の1学期終盤に綴った日記も印象的でした。内容は、保護者と喧嘩をして家出を計画したこと、リュックに荷物をつめて玄関を出ようとしたが冷静になったこと、保護者に「家の中で家出しなさい。」と言われたことなどでした。その子はクラスでは人と喧嘩をするようなことはありません。私は、「すごい経験したね。腹立ったんやな。」と声をかけつつ、見えている姿だけでその子のイメージをつくっていたことを反省しました。当時、学級通信で子どもたちの日記を共有していました。その子は初めて、「私の日記も載せて。」と言いました。その子の保護者にも快諾をいただき、後日掲載。子どもたちはその子の“意外”な姿にざわつき、新たな一面を知って、親近感が湧いたようでした。
日々、子どもたちは様々なことに心が動きます。私はその瞬間を綴ってもらう取組を続けています。それは、私自身が子どもたちのことをもっと知るために、子どもたちが互いを知るために続けてきたと言えます。互いを『知る』ことが明日をつくると思っているからです。私は大先輩からもらった『見えないものを観る力 聞こえないことを聴く力 それが人間力』をずっと意識しています。
私たちが掴んでいる姿は氷山の一角です。そこだけでその子なりを決めつけて関わるのではなく、もっと『知る』ことが大切です。知ることが、互いを大事にし合う関係を生み出すのだと思います。そのためにもまずはおとなが子どもを『知る』こと、『知ろうとする』ことを実践していきたいですね。みなさんは子どものことを『知る』ためにどんなことをしていますか。