2020年度 あいどるとおく

 

9月号 「困った子は、困っている子

 ある日の夕方、職員室で次のような会話が聞こえてきました。
「あいつはいつもこんなことばっかりするから、しゃーないやつやねん。前にも指導したけど、全然入ってないわ。」
「そうやな。前からやなぁ。」
「親がでてきたら面倒なことになるやろ。」
「あの親やから、親が変わらんかぎり子どもも変わらん。」
このような会話を聞くと、私は心に強い動揺を覚えます。
 一方で、このようなことがありました。
 学級でクラス中を巻き込む大きなトラブルが起きました。ひとりの子のノートにひどい落書きがされていたのです。
 担任は、書かれた文字を見て、誰がしたのかは予想がつきました。しかしそのことには触れず、落書きをされた子と落書きをした子の両方の気持ちを、子どもたち全員と考えることにしました。落書きした子は、何を伝えたかったのでしょうか。学級の子どもたちは、「どうして書いてしまったのかな。何か嫌なことがあったのかな。」と、落書きしてしまった子の気持ちを分かろうと考え、寄り添おうとする姿が見られました。結果的には、書いた子は名乗り出ませんでしたが、学級の子どもたちが「なぜ、どうして」から、書いた子の気持ちを自分事として捉えようとしていました。
 毎日、学校・園・所には、様々な思いをしながら子どもたちは通ってきます。当然、トラブルも起こります。「どうして伝わらないんだろう」や「この子が何を考えているのかわからない」など、その解決法に悩み、「どうすればいいですか」と解決方法やその時取るべき行動を聞かれることがあります。
 しかし、解決するために私たちがとるべき方法は、一つしかないのでしょうか。「子どもたちに寄り添う」「子どもたちの背景を知る」と言いますが、「どんな伝え方をすれば、相手に伝わるのか」「今、この子が困っている原因は自分にもあるのかもしれない」と、先の子どもたちが気づいたように、教員・保育士自身が自分事として捉えて、見方・考え方を変えてみると、また新しい発見があるかもしれません。
 困った子は、困っている子へと。